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御煤払い(おすすはらい)と両堂の位置の逆転

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毎年12月20日は、ご本山の両堂(御影堂・阿弥陀堂)で御煤払いが行われます。御煤払いとは、全国から集まったご門徒や奉仕団の方々による大掃除のことで、先が少し曲がった竹の棒を持って横一列に並び、外陣の畳をたたきながら前へ進みます。そして、舞い上がったほこりを大団扇であおぎ出すのであります。 年末の風物詩として、テレビのニュースなどでもよく取り上げられています。

さて、御煤払いというと思い出すことがあります。およそ四百年前の元和3年(1617)12月20日、この日もやはり御煤払いがありました。ところがその夜、本願寺の浴室から出火をします。そして一夜のうちに、両堂や対面所等本願寺の建物の多くを焼失してしまいました。この両堂は、その21年前の慶長元年(1596)7月13日におきた「慶長の大地震」で倒壊した両堂をその後再建されたもので、又特に御影堂は、慶長16年(1611)の宗祖三百五十回忌を迎えるため大幅に改築されたばかりのお堂でありました。それから6年後の火災であります。当時の准如宗主を始め、門末の方々のご心痛は計り知れないものがあったことでありましょう。しかし、その再建は驚くほどの急ピッチで進みました。翌元和4年中には、仮堂、対面所、そして新しい阿弥陀堂まで完成いたします。

ところで、大坂天満より現在の堀川六条へ移転した当時の本願寺は、御影堂が北側、阿弥陀堂が南側に建てられていました。現在の位置とは逆なのですが、これが、本願寺の元々の建て方であります。例えば東本願寺(真宗大谷派)や仏光寺(仏光寺派)等は、その元々の建て方です。ところがこの元和4年に出来た阿弥陀堂は、元々御影堂のあった境内北側の地に建てられました。その辺りの経緯は不明なのですが、阿弥陀堂が完成し、阿弥陀如来像をご遷仏し、御移徙(おわたまし)の法要を行った後、その翌日には阿弥陀如来像を御茶所へご遷仏し、その阿弥陀堂の正面には、仮堂に御安置していた御真影様を御遷座されたのでした。建立名目は阿弥陀堂でありましたが、事実上御影堂としてその御堂を使うことになりました。その後良如宗主の時代の寛永13年(1633)に南側の空き地に現在の素晴らしい御影堂が完成し、御真影様を御遷座されました。北側の御堂はには、御茶所にあった阿弥陀如来像が御遷仏され、ここに位置が逆転した両堂が完成致しました。なおその阿弥陀堂は、新しい御影堂から見ると随分小さいので、法如宗主の時代の宝暦10年(1760)に現在の阿弥陀堂が建立され、旧阿弥陀堂は西山別院へ移築され、現在もその姿を残しております。
今年平成26年(2014)に国宝に指定された両堂は、こういった経緯で建立され、浄土真宗本願寺派の根本道場として、多くの念仏者を育て、見守ってきたのでありました。御煤払いが来る度に、本願寺の未曾有の苦難を思い出し、それを乗り越えられた当時の念仏者の力強さに頭が下がる思いであります。

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