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供養(くよう) ~お供物をとおして~

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お供物とは、仏様、仏法、僧(阿羅漢、広義には悟りを求める人々)の三宝(さんぼう)に捧げて供養する諸物のことをいいます。古くは、衣服(えぶく:着物)、飲食(おんじき:食べ物)、臥具(がぐ:寝具)、湯薬(とうやく:薬)から、香、花、燈明(とうみょう:灯り)など多種のものが供物として供養されていました。しかし、後世にいたって、仏様等に供える餅や菓子や果物のみを供物というようになりました。
現在、西本願寺では以下のような供物をお供えしておられます。鏡餅、小餅、落雁(らくがん)、羊羹(ようかん)、紅梅糖(こうばいとう)、山吹(やまぶき)、銀杏(ぎんなん)、紅餅(べにもち)、饅頭(まんじゅう)、州浜(すはま)、巻煎餅(まきせんべい)、昆布(こんぶ)、湯葉(ゆば)、蜜柑(みかん)、栗、柿等です。こうしてみますと、実に多種のお供物が阿弥陀如来や親鸞聖人へお供えされていることが分かります。

『無量寿経』という経典には、様々な浄土にお住まいの菩薩様方々が、阿弥陀如来のみもと(西方浄土)へお越しになって供養される様子が説かれています。

「菩薩はみなそれぞれに、うるわしい花と、かぐわしい香と最上の衣をささげて、無量寿仏(阿弥陀如来)を供養したてまつる。みなともに美しい音楽を奏で、みやびな音色を響かせ、すぐれた徳をうたいたたえて無量寿仏を供養したてまつる。」(『浄土三部経 現代語版』)

ここでは、「花」や「香」だけでなく、「最上の衣」も阿弥陀如来にお供えするとあります。これは「上等な衣」という意味より、「何物にも代えることが出来ない程の重い価値の有る衣」という深い意味があります。お供えする側の心が問われているとも味わうことが出来ます。また、音楽もお供え物として示されています。

さて、三宝(仏・法・僧)への供養と、一般的なご先祖への供養との違いを見てみましょう。三宝への供養は、生と死の苦しみの中で、おののき、嘆き、なすすべ無く立ちすくむ人間、つまりこの私への救いに対する深い感謝の心があらわれたものと言えます。一方、先祖の供養は、この私の生と死の問題を問うことはまず無く、いわゆる亡き方の成仏を願う追善的な色彩の濃いものでありましょう。浄土真宗ではそのような追善的な供養は本来の供養では無いと説明しています。

しかし、私の生と死の苦しみを超える道が、ご先祖の大いなるお導きによりあきらかになったと仰がれるのであれば、ご先祖に対して深い感謝の供養をそこに語ることもできるでしょう。

生と死の問題を解決して下さった阿弥陀如来や親鸞聖人へ対して、何よりも深い感謝の心から、本願寺では数多くのお供えをされるようになったと伺うことが出来ます。