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牛盗人(うしぬすっと)

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宗祖親鸞聖人は、御在世の頃「牛盗人」という言葉を使っておられた様であります。それは宗祖のお言葉として蓮如上人が『御文章』二帖目第二通に「されば聖人のいはく、たとい牛盗人とはいはるとも、もしは後世者、もしは善人、もしは仏法者と見ゆるように振舞ふべからずとこそ仰せられたり」、また二帖目第十三通「牛を盗みたる人とは云はるとも、当流のすがたを見ゆべからずとこそ仰せられたり」そして、三帖目第十一通「御言に曰く、たとい牛盗人とは呼ばるとも仏法者、後世者と見ゆるように振舞うべからず」と紹介されており、また覚如上人は『改邪紗』にやはり宗祖のお言葉として、「たとい牛盗人とはいはるとも、若は善人、若は後世者、若は仏法者と、みゆるようにふるまうべからず」と記されておられます。つまり、「たとえ牛盗人と呼ばれても、仏法者らしく念仏者らしく振る舞ってはいけない」という戒めを宗祖は度々仰っておられた様であります。現代の私達からしますと少し腑に落ちない戒めではないでしょうか。仏道を歩む者らしく、念仏者らしく振る舞い、生活することを戒めておられるのでありますから。

ではその「牛盗人」とはどういう意味でしょうか。いくつかの説があるようですが、宗祖のご引用の趣旨に合うと思われる大谷派の円解の『改邪鈔随筆』等の説をご紹介致します。
比叡山では当時、外道を「牛盗人」と呼んでいたという説であります。『涅槃経』巻三長寿品に、仏滅後、外道が仏説を剽窃(ひょうせつ→他人の説を自分の者として盗用すること)することを、「盗人、牛を掠(かす)むるが如し」と譬えられており、天台宗では外道が仏法を掠め取ることを、「牛盗人」と譬えていたようであります。つまり当時の天台宗の僧侶達は、法然聖人や親鸞聖人が長年比叡山で修行したにもかかわらず、その恩義も忘れて新しい法門を立て、しかも天台の教えを不実なるものとして貶めているを恨み、「牛盗人」と言って罵っていたというのであります。宗祖は、天台宗の僧侶達から「牛盗人」と呼ばれておられたという事になります。

そうしますと「たとえ牛盗人と呼ばれても、仏法者らしく念仏者らしく振る舞ってはいけない」ということはどういうことでしょうか。御文章を拝見してみますと、いずれの「牛盗人」の箇所にも「掟(おきて)」と言う言葉が出てきます。蓮如上人は、宗祖がお定めになった「掟」として、

①他宗・他人と信心の論争をしてはいけない
②諸仏・諸菩薩・諸神を軽んじてはいけない
③わざと仏法者・後世者であるように振舞ってはいけない
④ふかく本願他力の信心を頂戴していても、仁・義・礼・智・信を守り、世法を先としなければならない
以上のようなことを記しておられます。これらを見てみますと、当時の一部の念仏者の行状が垣間見えてくるように思います。浄土真宗以外の教えを、軽んじ、貶めるような言動、そして造悪無碍(ぞうあくむげ→弥陀の本願は悪人が目当てだからといって、罪業を恐れない間違った信心)、いわゆる「本願誇り(ほんがんぼこり)」が横行していたのです。だから「たとえ牛盗人と呼ばれても、仏法者らしく念仏者らしく振る舞ってはいけない」と、それほど危機迫る状況があったものと窺えます。
宗祖があきらかにされた一心一行(信心と念仏)の法門は、一心一行以外のものを廃捨する教えでもありました。しかしそこには、低下の凡愚であるという強い自己への眼差しがありました。その自覚の上からは「本願誇り」は出てきません。現代に生きる私達に置き換えてみますと、一心一行の法門を深い自己への洞察を抜きにして、観念的にのみ捉えてしまっていることから生ずる「本願誇り」に注意しなければならないのではないでしょうか。