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龍谷会(りゅうこくえ)

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大谷本廟(京都市東山五条 本願寺飛び地境内)の報恩講として、毎年10月15日・16日の両日にご門主様ご親修にてお勤まりになるのが龍谷会で、第14代寂如上人のころより、本山の御正忌報恩講とは別に、本廟の報恩講(「大谷会」または「本廟報恩講」)が営まれるようになり、第21代明如上人のときより、「龍谷会」と称するようになりました。
そもそも大谷本廟は、1603(慶長8)年第12代准如上人のとき、徳川幕府の命により現在の地に廟堂が移転され、第14代寂如上人時代に諸堂が整備され、祖廟、明著堂(祖廟前の拝堂)、山門などが完成しました。寂如宗主は、拝堂には「明著堂」、本堂には「龍谷山」の額を親書し掲げられましたが、この「龍谷山」の山号は、祖廟があった辺りの地名に由来する「豅」を「おおたに」と訓ずることによって、これを二字に分って「龍谷(りゅうこく)」と称したといわれています。また宗主は祖廟の落成にあわせ、宗祖の御影に有名な画讃「韜名愚禿畏人知 高徳弥彰澆季時 誰了如来興世意 直標淨典囑今師」の讃を作られました。

祖廟(現在は祖壇と呼ばれています)の内部には、宗祖が御往生された善法院ゆかりの虎石が置かれ、その上に宗祖の御影(龍谷会以外の平常時は、画讃の書かれていない御影)が安置されています。この御影の前に置かれる前卓は鬼面卓と呼ばれ、その卓の四脚は鬼の顔を形取られており、独特の雰囲気を醸し出しています。

さて、龍谷会の前日には、寂如宗主が染筆された画讃がある御影が掛けられ、祖廟に丁重なお荘厳が施されます。ご法要は15日は、雅楽が奏でられる中、白州を明著堂へ向かう庭儀から始まり、明著堂に参着されると、祖廟へ華や供物をお供えされる伝供(てんぐ)があり、それが終わると鐃鈸が打たれます。この伝供の時に、「五眼讃」という聲明と唱えられると同時に、「迦陵頻」という雅楽の曲が演奏されます。聲明と雅楽の曲がが同時に演奏されますのは、この龍谷会だけで大変珍しいものと言えるでしょう。そして伝供の後、奉讃大師作法第二種の法要がお勤まりになるのであります。二日目16日には、同じく庭儀が有り、第三代宗主覚如上人がお作り頂いた報恩講式(私記)を拝読される報恩講作法がお勤まりになります。特に両日の庭儀には、弟子と呼ばれる御導師(御門主様)がご法要で使われる珍しい諸道具を運び賦撤(設置と撤去)する人たちが参進します。その珍しい諸道具とは、「幡」と呼ばれる礼盤の両側に設置する金属製の装飾具、「草座」と呼ばれる礼盤の畳の上に敷く錦の装飾具、「座具」と呼ばれ、礼盤下に敷き、その上で御導師が起居礼(本願寺派で最も丁寧な礼拝)をされるための装飾具であります。

「名を愚禿にかくして人の知るをおそる。 高徳、いよいよあらわる澆季(ぎょうき)の時、だれかしらん如来興世の意、直ちに淨典を標して今師に属す。」

「宗祖親鸞聖人は、名利を求める生き方を嫌い、自ら愚禿と名のられました。しかしその高徳は、世が乱れ、時代が濁った時いよいよあきらかになります。釈迦如来がこの世にお出ましになった理由を誰が知っているのでしょうか。まさに大無量寿経(真実の教)を宗祖聖人に伝えるためであったのです」(意訳)

この画讃が記された御影の前で、慇懃丁重に毎年お勤めされますのが龍谷会です。秋の一日、この私に大無量寿経(真実の教)をお伝え下さった宗祖聖人を偲ぶ御勝縁とされては如何でしょうか。

 

画讃

「大師影供作法 画讃(聲明集より)」