季節のお荘厳

獅子

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今回は前回に引き続き、三具足の香炉に注目してみたいと思います。本願寺派の三具足には、「阿弥陀堂型」と「御影堂型」の2種類があります。前回取り上げました三具足中の燭立には、「阿弥陀堂型」と「御影堂型」の形状の違いはありませんが、香炉と花瓶はその形状に違いがあります。「阿弥陀堂型」の香炉や花瓶を上から見ますと、円形でありますが、「御影堂型」のそれらを上から見ますと、六角の形をしております。色は、両方とも前回に記しましたとおり宣徳の茶系でありますから、よく見ないとその違いを見落としてしまいます。

さてその香炉の蓋もそれぞれ、円形のものと六角形のものとがあるのですが、どちらともその上部に獅子の彫刻を載せております。この獅子は、香炉の蓋だけでなく、御宮殿や御厨子の柱の上部や、須弥壇の要部(くびれたところ)にも彫刻されています。また本堂の向拝(ごはい=階段下のよくお賽銭箱が置いてあるところ)にある柱の上部にも阿吽の口形をした獅子が左右に彫刻されています。浄土真宗の教えと直接関係の無いような獅子が、なぜあちらこちらに彫刻されているのでしょうか。

獅子といって思い出すのは、『讃仏偈』の途中に出てきます「人雄獅子」(にんのうしし)や、『重誓偈』の「説法獅子吼」(せっぽうししく)であります。『讃仏偈』の「人雄獅子」は、その意訳勤行『さんだんのうた』には「ひとびとの雄者(おさ) 獅子のごと」とあり、法蔵菩薩が、その師仏である世自在往仏を獅子に譬えて讃嘆され、師仏は獣王である獅子のように、人々の心の王たるお方であるとされるのであります。また、『重誓偈』の「説法獅子吼」は、その意訳勤行『ちかいのうた』には「獅子の吼るゆるごと 法とかん」とあり、法蔵菩薩が仏と成ったときには、獣王である獅子の声が他を覚醒させるように、人々をめざめさせ導いて行く法を説くと誓われた言葉でありました。

親鸞聖人は、その主著『教行信証』の「行文類」に、 道綽禅師の『安楽集』の御文「さまざまな大乗経典によって、念仏三昧の功徳が思いはかることが出来ない勝れたものであることを明かにしよう。どのように勝れているかというと、『華厳経』に、〈たとえば、人が獅子の筋で琴の弦をつくり、これをひとたび奏でたら、その他のものでつくった弦は皆きれてしまうようなものである。もし人が菩提心をもって念仏三昧を修めたなら、すべての煩悩、すべての罪さわりは、ことごとく断たれ滅するのである。〉」(現代語訳)を引用されておられます。一切の煩悩を断つお念仏の功徳を、獣王獅子の筋が奏でる力強いお琴の音声にたとえられているのです。

阿弥陀如来は、智慧と慈悲の仏様であります。阿弥陀如来を智慧のお徳から見てみますと、ご和讃には「仏光照曜最大一 光炎王仏となづけたり…」とありますように、その仏光は無明の闇を破る智慧光の王であると讃嘆されておられます。獅子のように力強く私の無明煩悩を打ち砕いて頂く阿弥陀如来のはたきを、獅子の彫刻として香炉の上にあらわしたものと味わうことができます。