つどい学習会

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小さな命・そしてご縁

寒い日が続いた11月下旬のこと 「 早く早く ケージを持ってきて!」

タ方勤めから帰った娘のけたたましい声。何事かと出てみると腕の中にやせこけ た小さな猫。聞いてみると、帰りの山道で後からきた車に追いあげられ端によけて止 まったところ、植込みの中で寒さにふるえてうずくまっていた。放っておくと今夜凍 死するかもしれないから連れて帰ったと言う。弱っているので翌日獣医さんに見て貰うと、まだ生まれて三カ月、栄養不足で目も悪いと治療して下さった。


ところが家には犬が四匹いる。どうしたものかとゲージに入れたまま様子を見て いたら、何とかなりそうなので外に出してみた。なめてやったり、危ない所に行こう とすると止めたり、お母さん役を務めるようになった。三か月たった今では四匹にま じり自分も犬のつもりか、かくれんぼをしたり、鬼ごっこをしたりで仲良く遊んでい る。あの時もし後の車から追い上げられなかったら、車を止めた丁度その時その場所 に居なかったらこんなことにならなかっただろう。


これが縁かもしれない。


何かにつけご縁ご縁と気軽に言うけれど、ご縁とはそんな簡単なものだろうか。本願寺の本に「結縁」とは人間同士ではなく、仏様とのご縁のことだと説明があった。縁 (原因)が働き、今ここに起きている事柄は数えきれない原因の積み重ねになった結果で、不思議な巡り合わせがあってここに出会っている。そして有難いご縁の積み重ねによって今阿弥陀様の教えに出会うことができているのだと…。


縁の良し悪しを気にして思い悩む私達に対し、全ての者と仏様とが結ばれている のだと働きかけて下さっている。ご縁の中に生かされていると言う教えをもとに、素直に生きていきたいものだ。 こんな有難い事を考えさせて呉れた子猫のチーチャンが昼寝から目を覚まし、お腹がすいたと呼んでいます。

杵築市 岩尾 忠子

謝恩のことば

本日は、阿弥陀如来様のご尊前において、先生方並びにご来賓のご臨席を仰ぎ、盛大な卒業式を挙行いただき誠にありがとうございました。また、数々の励ましの言葉を賜り、この上ない喜びを感じております。

私が「謝恩の言葉」の代表に選ばれましたのは、おそらく通信教育を10年生で卒業したからだと思います。そこで、本日は今までの思いでの一端を述べさせていただきたいと思います。
今年のスクーリング、「おつとめ」の試験での話です。試験のある部屋へ移動するよう案内が有った時、もう私の心臓はドカドカとなってしまいました。部屋に移って順番が来て、「先請伽陀」の最初の音を静かにそっと出してみました。ところが音になりません。「さぁ困った」。そのとき先生が、「じゃあ最初に私が唱えてみましょう」と唱えていただきました。その時の先生のお声明を聞いた時に、「ほぉ~、これが声明かぁ」とすごく感動しました。何に譬えて良いかわかりませんが、かぐや姫が月に帰る時のようでした。自分の思いはなくなり、このまま先生を追っていけば良いのだと思い、耳に残った先生の声をたぐって唱えたことが一つの思い出です。

もう一つは、専修課程の試験対策のことです。地元の支部では受講生がひとつの部屋に集まって試験の予習をします。「悪人正機」とはなにか等、いつも真剣に喧々ごうごうと語り合います。これもひとつの楽しみでありました。

私のことを申しますと、私は岩手県出身の72歳です。26歳の時に盛岡のお寺で夏期講座がありました。その時の「歎異抄」の講座を早朝に聞いていたとき、心がパッと明るくなったように感じたことを覚えています。それ以来、夏期講座は欠かさず、またいろんな講座を見付けては参加をして仲間と集うようにしてきました。

退職をして通信教育に入りました。入門課程から学習課程、そして専修課程を2回。通信教育入学まではいろんな勉強をして、知識は得られたように思っておりましたが、入門課程で実際勉強をしてみますと、大変至らない自分がみえてきました。何かお念仏に近づいていないと感じてしまい、入門課程を卒業すると、次から次へと入学を繰り返しました。いま10年生で卒業を迎え、「罪悪深重」「煩悩具足」の私をますます感じております。

最後になりましたが、今までご指導いただきました先生方に、卒業生一同心より御礼申し上げますとともに、宗門並びに学院の発展を念じまして、お礼の言葉とさせていただきます。

専修課程 横田 晴充

入会のことば

今度、なんとか中央仏教学院通信教育を卒業することができました、福井教区阪南組妙順寺門徒、法名広慧でごさいます。

自分一人の力では到底挫折してしまい、卒業は夢で終わっていたところでした。しかし、学院の先生方やスタッフの皆様、また、同窓会の諸先輩方のご指導やお力添えにより、卒業することができました。高いところからではありますが、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。 中央仏教学院に入学して、学び方が通信制ということで最初とても不安がありました。ましてや自分に甘い性格の私は、教科書をいただいても「明日からしよう」「後でしよう」とそのときは決意するのですが、「明日が毎日明日」になり、「後では常に後で」になり、教科書を読むことすらいっこうに進みませんでした。

そんなとき送られてきた「学びの友」に、み教えをはじめ中央学習会への案内、教区毎の案内などがわかりやすく掲載されており、「自分一人ではないんだ。ご指導くださる諸先輩方や一緒に学ぶ仲間がいてくださるんだ」と心強く思えるようになりました。

また、地区のつどい学習会では、先輩方が学習の場を作ってくださり、アドバイスや励ましをいただいたり、学習法やレポートの進め方を教えていただいたりしました。ただうろうろするばかりの私は藁をもつかむ思いでしたが、先輩方はご自身が卒業されても後輩を見捨てることなく、我が子のように温かく迎え入れ導いてくださいました。感謝の気持ちでいっぱいです。不肖ながら、先を進む先輩方の姿を見失わないように後追いをさせていただき、私なりのお手伝いが少しでもできれば幸いに思います。さらなるお導きをお願い申し上げます。

また、スクーリングではいろいろな方と知り合うことができました。共にみ教えを学ばせていただくお仲間ですので、言葉を交わせばすぐに打ち解けて、話が弾み、共に学ぶものとしての情報交換を行う事が出来、とても有意義でした。26年度卒業生の仲間として宜しくお願い申し上げます。 私ごとで申し訳ありませんが、この3年間不勉強で教科書が充分に活用できませんでした。1年の時は浅く広くそれなりに読みました。しかし2年の時は教科書が難しくなり、重要と思う所だけの勉強内容となり、3年に至ってはさらに難しくなったので、必要な所だけの勉強になってしまいました。熱心にご指導くださいました先生方ごめんなさい!。

もう、レポートの提出の心配はありませんので、今一度教科書を読み直して勉強のやり直しをしていきたいと思っております。 これからもご聴聞や講演会などの参加と共に、まずは家庭内で子や孫たちにみ教えを伝えていきたいと思っています。さらに仏教婦人会や門徒推進などの活動を通して、おみのりを弘めていけるよう頑張ります。

合掌

学習課程卒業 夏梅 八重美

平成26年度、卒業生代表の答辞

境内の大銀杏も色づき始め、深まりゆく秋を感じられます今日、学院長先生をはじめ、多くの皆様のご臨席を賜り、私達のために盛大な卒業式を挙行していただき誠にありがとうございます。卒業生を代表して厚く御礼申し上げます。

私達は皆それぞれに目標をもってこの学院に入学し、限られた時間の中で様々な学びを頂きました。

初めは『正信偈』をまともにお勤めすることも出来ませんでしたが、先生や先輩方にご指導をいただき、『勤行集』にアレコレ書き込んだことがまるで昨日のことのように思い出されます。

また、初めて教科書をいただいた頃は、読むほどに楽しさをおぼえたものですが、次第に内容が難しくなってまいりますと通信制で学ぶことの厳しさにくじけそうになったこともありました。ですが、スクーリングや学習会で出会ったたくさんの法友に励まされ支えられて今日この日を迎えることができましたこと、本当に嬉しく、また有り難く思います。

この三年間を振り返って思いますのは、たとえば「宗教」の科目では、私は宗教とどのような関わりの中で生きているのか、また「仏教」では、私にとって仏教とは何か、そして「真宗」においては、私はなぜ人間として生まれさせていただいたのかと、これらをお聖教の言葉でご教示いただき、我が身に引き当てて聞かせていだけましたこと、まさに法水に浸けていただいた三年間でした。まさしく誓願不思議の仏智のお育てをいただいてきたのだと、誠に有り難く感じております。

この学院で学び得たこと、その一つは「修学の仕方」であります。卒業した後も、お聖教に学び、お聴聞にご指南いただいて、同じ道を行む法友と励まし合いながら学び続け聞き続けていきたいと思います。

またもう一つは「自信教人信」ということです。阿弥陀仏のご本願に出遇えた喜びを、他の方にもお伝えをするという親鸞聖人の御一生に学び、真の仏恩報謝の道を歩ませていただかなくてはならないと思いを新たにしております。

最後に今一度、私達に学びの場をくださり、そしてご指導、お骨折りをいただきました先生方に卒業生一同、心より感謝を申し上げ答辞の言葉と代えさせていただきます。どうも有り難うございました。

平成26年度卒業生代表 沓名 奈都子

法語カレンダーの思い出

私の家の仏壇の左横の柱には、法語のカレンダーが掛けてある。いつとはなしにこ の場所に定着してしまった。仏壇に向かう時、まず目に入るのがこの法語。 唱えて いるうちに「うん、うん」と頷けるときは何となくお経も調子が出る。時には言葉の 中に様々な思い出とともに、その人の顔が浮かぶこともある。昨年 (平成二十六年) 六月の法語「深い悲しみ苦しみを通してのみ見えてくる世界がある」。この法語に出 会った時、かって中仏学習会で共に学んだKさんのあの底抜けに明るい顔が浮かんで くる。彼と一緒にいると気持ちが安らぐのです。

 

学習会で会うだけの仲でしたが、会うと決まって「やってるかね」「いいや」、そ れから始まってプライベートな話まで及ぶのです。彼が学習課程の二年次を終えたと ころで専修課程の一年次に再入学したこと、僧侶になる事が自分に残された最後の夢 である事、癌という病が自分の身体をむしばんでいること等、屈託のないあの笑顔で 話してくれるのです。それが私には不思議でなりませんでした。


彼が亡くなったことを知ったのは、奥さんからの電話でした。癌に冒され何度とな く手術を繰り返し、そして今回病床にありながら苦しみの中で亡くなる前日までレ ポート提出にペンを握っていたと聞かされました。

 

「やってるかね」彼の声が聞こえてくる。あの底抜けに明るい笑顔は何だったのだ ろうか。死の渕に立たされて何を見たのだろうか。「深い悲しみ苦しみを通してのみ 見えてくる世界がある」。あの底抜けに明るい笑顔の中に確かな世界が彼には見えて いたのだと知らされる。そして今なお彼に導かれるままに彼が歩もうとしていた道を 私が歩んでいるような気がする。

合掌

中央仏教学院同窓会 山陰支部 福島 弘

平成25年度、卒業生代表の答辞

平成25年度卒業式 卒業生代表の御礼の言葉(答辞) 本日阿弥陀さまのご尊前において、このような素晴らしい卒業式を迎えることができましたことに卒業生一同心より感謝を申し上げます。また、ご多忙のところご臨席賜わりお祝いのお言葉を頂戴しました。ご来賓の方々をはじめ関係の皆様方に重ねてお礼を申し上げます。

 

私たち卒業生は全国各地でまた海外に生活の拠点を置き、それぞれに与えられた境遇の中で多くの人に支えられながら学びみ教えに聞かせていただきこの喜びの日を迎えることができました。
私ごとで振り返りますと二十数年前に父を亡くし、お寺とのご縁がより深まる中でご住職から勧められ学習課程で学ばせていただきました。しかしいつの間にか卒業することが目的になっておりました。その消化不良のような気持のまま卒業して時が過ぎ、五十歳を目前にした私に手術を余儀なくされる心臓弁膜症の診断が下されました。手術に要する五時間のうち二時間は心肺を停止させる大手術でありました。幸い手術は成功し、日常を取り戻す中で生かされている自分とこの命の 不思議に思いが至りもう一度あの親鴛聖人のみ教えに学び、お聞かせいただこうと専修課程に再入学させていただきました。


還暦を過ぎてからの読み書きは容易ではありませんでしたが、片時も離れずこの私に寄り添い救わずにはおかないと呼び続けてくださる阿弥陀さまのお慈悲に気づかされての学びにためらいはありませんでした。 主要都市で開催された中央学習会にも参加させていただきました。名前も知らない様々な年齢の法友が疑問や悩みを持ちながらも明るく積極的に学んでいる姿に大きな力をいただきました。そして、この方々と一緒に聞法者として念仏者として歩んでいく私のすがたが少しずつではありますがみえてきたことであります。

 

最後にこれまでお導きくださいました白川学院長様はじめ先生方に言い尽くせませんが、心から感謝を申し上げますとともに中央仏教学院の益々のご発展と「南無阿弥陀仏」のみ教えが末永く相続され、お念仏の輪がより大きくなっていくことを念じ結びとさせていただきます。

平成25年度 卒業生代表 (専修課程) 田鉄雄

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