同窓生・受講生の声

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中央仏教学院通信教育では、約19,000人以上の卒業生がおられ、各方面でご活躍いただいております。 10代から90代の方までもが共に学んでいただける中央仏教学院通信教育生の声をお届けいたします。

私の通信教育

私は現在、九州大学大学院で日韓近代の新興宗教に関する研究をしています。八年前に渡日してから、日本の茶道や居合道など、いろいろな日本固有の文化を学んできました。

ある日、お茶会で浄土真宗の僧侶の方と出遇う機会がありました。浄土真宗は韓国には無い宗派で、その時、その僧侶の方に多くの質問をしたことを今も鮮明に記憶しています。宗教の歴史は人類の歴史とほぼ同じ時間の長さを持っていますが、現代の我々が望ましく思う宗教の意味は、昔からはずいぶん変わってきたように思います。私も、その部分に関して悩みながら日本の仏教を学ぶつもりでいたところ、お茶席での出遇いは私の人生を大きく変えました。その僧侶の方は、「煩悩をもったまま救われてゆく浄土真宗の教え」について熱く語ってくださり、それは今まで聞いたこともなかった教義でした。仏教に興味を持っていた私は、浄土真宗について深く学びたいと思うようになりました。

九州に住んでいる私が京都まで行くのは無理でしたので、中央仏教学院通信教育に出願しました。中央仏教学院通信教育に登録してびっくりしたことは、学費が安いにもかかわらず、膨大な内容が薄い一冊の教科書に、一目瞭然に整理ができているクオリティの高さでした。しかし、教科書が良くても外国人である私が一人で勉強するにはハードルが高かったです。 通信教育では、『学びの友』という補助教材が毎月自宅に届き、そこには各地の別院で学習会があると案内がありました。学習会は、私のように一人で勉強に迷っている者を、通信教育を卒業された先輩方や地域の僧侶の方々が勉強を手伝ってくださる場所でした。

通信教育の学習形態に慣れることで精一杯だった一年次が終わって、今は二年次です。その間、仏教だけではなく、宗教全般や、韓国には無い浄土真宗などいろいろな知識を習得することができました。亀のように少しずつ成長している私を感じています。その小さい成長に、少しずつ自信を持つことが出来るようにもなりました。これからも親鸞聖人がおすすめくださる教えに学びながら仏道を歩ませていただきたいと思います。

韓国 孔 牧誠

心鳴庵(しんめいあん)にて

長崎県五島列島の五つの島の真ん中に位置する奈留島に、2017年4月、住み慣れた長崎を後にしてやって来ました。

ここは人ロ2300人ほどの島で、五島市の中心福江島からまた 30分船に乗らなければなりません。いわゆる二次離島です。その昔は潜伏キリシタンも多く、木造の教会を世界遺産登録へという動きもあり、またユーミンこと松任谷由実が地元高校生からの要望で作った校歌の歌碑もあります。

私がこの島へ着いてすぐに詠った、「奈留島は 心鳴る島 さはさはと 風に吹かれて 生きてもゆかな」という自作の歌から、私が住む庵(いおり)を「心鳴庵(しんめいあん)」と名付けました。残りの人生を、20代後半から始めた短歌を詠みながら、自然の中で晴耕雨読の生活をしたい。島原半島あたりの古民家を借りて暮らしてみたいと、40年来の友に呟いたところ、それなら空いている奈留島の自分の家に是非住んで使って欲しいと言ってくれたのです。庵に住むというのは、昔からの憧れでしたが、まさか実現する日が来るとは思ってもいませんでした。一人で暮らすには広い一軒家で、庭も畑も十分すぎるくらいあります。

中央仏教学院の通信教育で勉強しないかと姉に誘われたのは、介護していた母が93歳でお浄土に行った後でした。浄土真宗本願寺派寺院の三男だった父は、47歳(私が9歳の春) という若さで亡くなったのですが、決まって泣いていた末っ子の私にだけは、子守唄として「恩徳讃」を歌ってくれていたそうです。その頃の恩徳讃は短調の曲で、今聞いても涙が出ます。私の中にしんしんと染みていた歌でした。

福岡の教堂で通信教育の学習会が開かれているということを聞き、月一度、博多に出かけました。月日が経つにつれ、仲間たちと会うことも楽しみになり、スクーリングも博多で受けました。そんな専修課程二年生の時、本部派遣の学習会に参加した時のこと。片隅のソファーで姉とおにぎりを頬張っていると、本部の先生からお声をかけられました。私たち姉妹が、長崎から通っているということを知り、長崎にも受講生や卒業生のための「つどい学習会」を作りませんかというお話をいただきました。それからまもなく諌早の長崎教務所様を会所として、「つどい学習会」を開くことができるようになり、今年で三年目となりました。

2016年、67歳の冬、私は得度を受けました。法名は「繹秀詠」。「秀れた詠み手」と言う意味ではなく、「秀子が詠う」という想いで内願していただいた法名です。

庵に住めば、ふつう人にあまり接することがないから、僧侶の心得の一つである布教ということは出来そうにありません。でも年齢的に人の悩みを聞くことぐらいは出来ると思い、三年生の時から一年間、ビハーラの「こころの電話」のヒアリングボランティアの勉強をしました。
それというのも、2年ほど前にNHK「こころの時代」で、東北の「森のイスキア」という、心迷った人が訪れて、ただ話を聞いてもらうだけで癒されて帰って行くという家のことを知ったことがきっかけでした。キリスト教関係のその方はすでに亡くなられましたが、私の庵もそんな場所にしたいと思ったのです。

この島の宗教事情は、浄土宗のお寺がひとつあるだけで、集落ごとに神社があります。ほとんどの家庭には、仏壇とお大師様、台所には荒神様、そして神棚があります。この庵にもこの四つがありました。他に神道、キリスト教、金光教、天理教の信者の方も少数いらっしゃいます。

そんな島の暮らしのエピソードとして、「祠(ほこら)のマムシ事件」があります。 この島に暮らし始めてまもなく、庵の近くに住む80歳の女性から相談を持ちかけられました。
集落の墓地の入口に七体の地蔵尊を祀る祠があり、老朽化が進んでいるので取り壊すことになったそうです。その時、屋根からマムシが七匹出て来て、六匹は殺したけれども一匹逃げたのです。人々は祠を壊したせいで、怒ったお地蔵様がマムシに化けたのだと考えて、逃げた一匹がたたると怖がっているというのです。それで私にどうすればいいか、と聞きにこられました。
「これまで人々を守って来られたお地蔵様ですから、マムシに化けて祟ったりするはずはないと思いますよ。」 と言いましたところ、その方は一瞬目を丸くされましたが、「あ-良かった。そう言ってもらって安堵した。そうよね~。良かった良かった、ホッとした。」と胸をなでおろされました。それ以来、その人は何かと力になってくれるひとりになりました。

島の暮らしや人々の中に溶け込み始め、野菜や魚を持って来てくださる方々とも親しくなった頃、地元の高校の教頭先生の訪問を受け、島留学生 (今のところ邦人のみ)のホストファミリーを引き受けてくれないかと頼まれました。過疎化が進み、高校は廃校の危機を抱えています。県や市の取り組みで始まった企画で、今年が第一回目の受け入れです。長崎県の他の離島でも既に始まっていて、それなりの結果を出しているところもあり、この島の人ロ減少の歯止めに少しでもなればと、「私で出来ることなら」と引き受けました。
この四月から、女子高生をひとり預かることになりました。キラキラネームの子供とこれからどんなことが起こるのか、楽しみです。

昨年迎えてくれた門の前の桜が、今年もうすぐ咲こうとしています。中央仏教学院の通信教育の勉強を始めてから、老後をこんなふうに過ごすことになるとは思ってもいなかった展開でしたが、これから無理をすることなく自然とともに過ごしていこうと思っています。
                                         合 掌
長崎県 北川秀子

今、考えていること

私は30年近くを高齢者介護に携わってきました。
最初は認知症患者の施設でボランティアをしながら、認知症患者の行動を学び、心の訴えを聞いてきました。その後、在宅の認知症患者が増加していくなか、「助けあい団体」を立ち上げ、有償ボランティアとして在宅の介護に携わりました。
10年を経て「グループホーム」を運営することとなり(その2年後介護保険が始まる)約10年間認知症患者と寝食を共に暮らしました。現在は在宅ヘルパーとして、末期ガン患者の方も含め、在宅の高齢者の介護を行っています。
特にグループホームの経験から学ばせていただいたこと、考えたことを記させていただきます。

○人(社会・家族)は人(認知症患者)をややもすれば軽んじ、自分の正当性ばかりを主張することがあるということ。人間の持つ罪悪性の一端を実感しました。認知症の方々の方が、よっぽど認めあって助けあって暮らすことが出来るのです。つまり、高度成長社会によって失われた人間性(思いやる心、助け合う心、我慢する心)を自然に、あたり前の如く取り戻しているのです。

○具体的には
重症の方に対しては、少し症状の軽い方は必ず手助けをして介護しあうのです。手をつなぎトイレに誘導し、着替えを手伝うのです。男性は、庭掃除や草花の手入れ、電球の取り替えなど、まるで皆が誰かの母親の如く、父親の如く生きているのです。
そのような患者さんが死の3日ほど前になると、まことに不思議ですが、認知症状が和らぐ方が多いのです。お世話になったスタッフにも「ありがとう!」とお礼を述べられます。「お迎え」を意識しているかの如く、取り乱すこともなく、静かにひとりで逝きます。寿命を生ききって。
また、在宅や施設で虐待され、人間扱いされてこなかった方々がホームに来られ、安心安全な場を得ると、自分の役割を思い出します。元気なときにやっていたと思われることを、日課とし役割を果たします。そして、死ぬときは「ここで死ぬ」「みんなで線香をあげてくれればよい」と、はっきり自分の最期について語る方が多いです。

○ところが家族は…
あまりホームに訪れもせず、イザという時になると本人の意向を汲み取らず、無理やり病院に入れて延命措置を行ったり、亡くなった時には、長年付き合いのなかった地元で盛大な葬式を行ったりされます。生前に本人が希望されていた事を伝えても聞き入れてもらえず、自分たちの価値観、世間体を優先されてしまう事があるのです。

私が僧侶になる決心をしたのは、このように生前の言葉を伝えるのに限界を感じたからでした。
今、この介護の世界も、介護保険制度の導入によって、良かった面、良くない面がはっきりしてきました。気になっていますのは、ケアマネジャーの権限が強すぎることです。家族の思いや本人の願いよりも制度が優先され、介護の効率化を押しつけられる傾向があります。すべてのケアマネジャーにあてはめられるものではありませんが、「生きがいのある老後」ではなく、「生きがいを無視した老後」を歩まされてしまうのです。
私が「僧侶のヘルパー」ということで、「是非話したいことがあるから来て!虐待の実態を聞いて!」という訴えや、「あと2ヶ月の余命を受け入れろと言われた。聞いてくれ!」など、本人そして家族と「命」について真剣に話し合う事が増えました。
本人にとっては、誰にも相談できなかったことや誰も耳を貸そうとしなかったことを聞いてもらえるという安心感、家族にとっては、介護で生じた苦悩に寄り添うことで、家族の心の痛みが少しやわらぐといったことを実感してきました。
今、僧侶になるということは、仏事が出来るということばかりではなく、必要とされる方々に寄り添うビハーラ(心のかけ込み寺)も求められているのだと思います。私は今後ビハーラ僧をめざし、より多くの患者さんやご家族と共に「命をみつめ」「往生への道」に寄り添っていきたいと思っています。

追伸
私は、来春より「いのちと介護の相談室」を開設し、「聞いてほしい!」と訴える方々の「聞き手」として歩み始める予定です。

千葉県 早川節子

「苦」のご縁

随分大人になるまで、自分の家のお墓があるお寺が何宗なのかも全く知りませんでした。そのぐらいですから、お寺との関わりも、お盆やお彼岸にお墓参りに行く程度のものでした。そんな私が"浄土真宗"を知ったのは、夫の生家のご縁からです。それまで浄土真宗どころか、仏教も何も知らなかった私が、少しずつ関心を持ち始めたのは、その頃からでした。ある時、読んだ本に「人生は苦である」とお釈迦様の言葉を見つけ、なぜか強く心に残りました。それを強く実感したのは、子どもを失い、続いて夫を、さらに両親まで亡くなり、それまでの生活も一変したときでした。それまで私の中で漠然としていた「苦」が、想像以上に現実に大きくのしかかってきたのです。別離の悲しみに加えて、人が亡くなるという事実は、これまで考えたこともないような人間関係や生活、法律など、様々な問題が起きるということに、混乱するばかりでした。「苦」とは、思うようにならないこと教わりました。たしかに思い通りにならないことばかりで、悲しみよりも苦しみの方が大きくなっていきました。

そのような私を救ってくれたのは、『歎異抄』をはじめとする真宗に関する様々な書物でした。それらのすべてが、これまでの私の姿を省みることを促し、自分中心にしか考えられなかった私だったと気づきを与え、ものの見方を変えてくれました。そして、それはすべて私にかけられていた阿弥陀様の願いのはたらきだったということもお聞かせいただきました。同時に私自身が問われているようにも思いました。そして私の中で徐々に、『歎異抄』にあらわされた親鸞聖人のみ教えを、もっとしっかり学んでみたいという気持ちが強まってきていました。そんな時、たまたま築地新報で見つけた中央仏教学院通信教育を知り、「私が求めていたのは、これだ。」と思い、直ぐに申し込みました。正直、難しい内容もたくさんありましたが、丁寧に解説されていて、これまで独りよがりに理解していたみ教えが、教義としてもしっかり学べたように思います。何よりも一緒に語り合える朋友に恵まれたことも大きな喜びでした。今では卒業後も、仙台別院をお借りしての勉強会などに参加させて頂くことが、楽しみになっています。

本来なら、私の地元にも学ぶ場があったらどんなにいいだろうと思うのですが、浄土真宗が少ない地域性もあり、それもまだ難しいようです。一番困るのは「なまんだぶつ」と声にすると、傍の人に「縁起でもない、やめてちょうだい!」と制止されてしまい、ついつい声を呑み込んでしまう場面がしばしばあります。せめて私の周りの人々に親鸞聖人のみ教えが、一人でも多く広まり、ともにお念仏を慶び合える時が来ること、それが今一番の私の願いです。

東北地区 青森県 廣田敬乃

頭痛から

私は中学生のころより頭痛を感じるようになりました。環境が変わったり、疲労の時や、体調がいいのにと思う時もズキズキしたり、頭の中で蝉が鳴き続けて(分かり易く表すと)いる状態となります。

痛くなると頓服薬を服用したり、横になって休みますが、加齢と共に酷くなり、専門医へ一年通院しました。筋緊張性頭痛、偏頭痛、頚椎骨軟骨症からか?と毎月薬が替り、しまいには手持ちの薬はないと言われ、入院して検査をすることになり、十日余り入院しました。

入院して数日経ったころに家内が来て、「凛(高校一年の孫)が仏さんを夜、拝んでいる」と言うのです。私はたいそう嬉しくなり、検査の苦しみが一時消えたように思いました。

周りから言われて拝んだのではなく、自分から仏前に座ったとのことで、いろいろのことを感じました。私の所属寺では毎月一回、子供会が住職夫婦を中心に行なわれており、孫も参加をしていました。また家では私がお勤めする時、家族を誘っていないので孫と一緒に座ることは殆どありません。後日本人が病室に来た折、礼を言うと「おじいさんが拝んでいないので仏さんが寂しいと思って…」ととても照れ臭そうに答えました。

子供会という素地と私の姿が影響して、お念仏してくれたと思いますが、子や孫への相続の一片であろうと感じました。

病室には癌により臓器の摘出手術を待つ不安そうな老人、怪我で松葉杖がないと歩けない壮年の人、大手チェーン店の管理責任者として東関東から単身赴任し、脳梗塞を発症して初期処置が終り、転院、リハビリを協議中の五〇歳位の男性の悲痛な姿。特にこの方は「まさかこんなことになるとは…」と嘆かれ、病院や身の回りのお世話に来られる会社の方の言われることがすぐには理解できず、対応できないと話して下さいました。

同室の方々はまさにこの歳になって臓器摘出、まさかいつもの仕事で大怪我、まさかこの歳で脳梗塞に……と、私もまた同じように常のままでない、時々刻々と移り変ってゆく無常の今を生きさせてもらっているんだと思わせて頂きました。朝、目が覚めて仏前にお参りできることがどんなにありがたいことであるか、入院を通して改めて感じることができました。

ちなみに頭痛の方は諸検査でも大きく悪いところがなく、原因不明となりました。よって往生させて頂く時まで一緒に歩むこととなり、これも御縁でございましたと受け取らせて頂くばかりです。
                                         合 掌
出雲市 藤原敏幸

築地本願寺の接遇奉仕活動接遇活動を始めて

築地本願寺のボランティア接遇活動は、当初中央仏教学院通信教育生同窓会のメンバーが主力となって、2013年10月より始まりました。20数名だったメンバーも今は40名ほどになり、皆さん熱心に活動されています。

私には全く興味のない世界でしたが、川口忠治先輩に誘われて嫌々ながら始めてみると、参拝に来られる人々から教えられることが多く、だんだんと接遇の楽しさが感じられるようになりました。

ここを訪れる人の9割方は、初めての観光客です。広い境内は築地市場に来る観光バスの駐車場として使用されていることもあり、その傍らに不思議な建物があるので興味半分で階段を上って来られ、外国人も世界各地から一目に数百人来られます。特に仏教の盛んな台湾や東南アジアの人が多く、日本の各地からも一目千人以上の老若男女の人が参拝されます。

ボランティア接遇員として立っているといろいろな人々との出遇いがあります。20代の若いお母さんが一歳になったばかりの赤ちゃんに焼香台の前でお参りの仕方を教えていました。三歳の男の子が大人顔負けの大きな声で「なあまんだ一、なあまんだ一」と称えています。

信心深いスリランカの人たちが本堂の入口で履物を脱ぎ、母国の慣習に従って裸足のまま熱心に参拝していかれました。  外国の方たちは「Amazing」「Beautiful」「Peaceful」などと、本堂やこの内陣のきらびやかさに驚きの声を発して眺めていかれます。

日本人も、インドと日本と西洋を融合したようなこの建物に感動されるとともに、広い堂内に腰掛けると厳かで安らかな雰囲気とお線香の香りに癒され、また阿弥陀如来のまなざしに見守られる安心感を得ていかれるようです。

ボランティア接遇では参拝者からいろいろなことを質問されます。このため、質問されたことを一つ一つ書き止めて、分からないことは本やインターネット、本願寺のホームページや築地本願寺の職員に聞いて資料を作り、ファイルしていきました。しかし、資料が多くなると重くて、持っているのが辛いため、小冊子にしょうと思い立ち、一年間かけて写真を撮って説明しやすいようにまとめてみました。さらに外国人向けにもなるように協力を願い英文も併記しました。

この小冊子は、築地本願寺に訪れる参拝者や大多数の観光客の方々に築地本願寺の楽しさや仏教ならびに浄土真宗に親しんで貰うために役立てればと思い、ボランティア接遇員用ガイドブックとして作成しています。皆様のお役に立てれば幸いです。

同窓会関東支部 『さんが』十八号より
奉仕活動員 平成24年度卒 洞鶏(どうけい)憲雄

ご縁

日々の生活の中で、本当に沢山のご縁を頂戴します。しかし、ご縁を頂いても、その場限りにしてしまったり、ちよっとした自分のためらいで、無駄にすることがあまりにも多く、ご縁を生かしきれていない自分に、とても寂しさを感じていました。そんなある日、友達から鉢植えのプレゼントをいただきました。

もらって、「わあ嬉しいありがとうございます。」とは言ったけれど、「これは気の使う大変なプレゼントだわ」という思いが一瞬心の中をよぎりました。折角いただいたのだから枯らさないようにと、水や肥料をやったり、日光を当てたり、一生懸命世話をしました。やがて、蕾が膨らみ、花が咲きました。「ああ、枯らさずに咲いてくれて良かった。縁をもらうということは、苗木をいただくことと一緒なんだわ」と、ふっと感じたのです。

もらった苗木を枯らさずに、花を咲かせるためには、「育てる」という行為が不可欠なんです。手間暇をかけて世話をし、時には励ましの声をかけ、褒めてあげる。そしてその行為を続けて初めて花が咲き、実を結ぶのです。

縁も同じだと思います。自分で面倒がればそこで枯れてしまいます。やっぱり「ご縁」は生き物なんですね。これが最大の教訓です。

(同窓会石川支部発行『よび聲』第十号記念号より)宮崎 禮子

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