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華瓶(けびょう)考

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華瓶(けびょう)考

西本願寺の阿弥陀堂のお荘厳には、いくつかの特色があります。今回はその一つをご紹介しましょう。

一般的な尊前の荘厳は、前卓(まえじょく)という机の上に三具足(みつぐそく)と言って、香炉(こうろ)・花瓶(かひん)・蠟燭立(ろうそくたて)の3つの仏具でお荘厳します。つまり、仏様に香・花・灯をお供えするのです。しかし、阿弥陀堂の阿弥陀如来御尊前は、上卓(うわじょく)と呼ばれる机の上に、四具足(しぐそく)という、華瓶(けびょう)一対・火舎、(かしゃ)・蠟燭立(ろうそくたて)の4つの仏具で荘厳します。これも、香・花・灯をお供えしているのですが、前卓の上に載る花瓶(かひん)と上卓の上に載る華瓶(けびょう)とは、同じ花をお供えする仏具なのですがその形に随分違いがあります。

そもそも、インドにおいて仏前への花のお供えは、華鬘(けまん…花を糸で綴ったも)や、お皿に花を盛って散らすという方法でした。中国では、中唐の時代に現在の三具足の花瓶に相当する「瓶」という名称が記録に出てきますので、その時には現在の様な立花形式が始まっていたものと考えられます。では、華瓶(けびょう)と花瓶(かひん)とではどう違うのでしょうか。

『望月仏教大辞典』の「華瓶(けびょう)」の説明をみてみますと、「華を挿し供に充つる器にして、其の形、羯羅舎(kalasa)に似て、腹大に口狭し。又別に口大にして觚(こ…中国古代儀式に用いられた大型の酒器)の如く、雜華を立つるに適するものあり。特に之を華瓶(かひん)と呼べり。元と同物なれども、其の形を異にするが故に発音に不同あるなり。」とあります。元来、華瓶は華(花)をお供えする仏具なのですが、其の形の違いから「けびょう」と「かひん」の呼称の違いがあるということです。しかも「かひん」の方は、口が大きく多くの花を供えるのに適していると言うことですから、「けびょう」は1本もしくは数本の花を供える仏具ということになります。

江戸時代に著された『真宗故実伝来鈔』の「仏前上卓荘り様の事」には、「花瓶(「けびょう」を示す)は必 樒(しきみ)なり、総して仏家に樒を用いること、先は日本の香木なれはなり、~略~ 仏前に樒を備ることは、西天(インド)には専ら青蓮華を用ゆ、此樒の葉の並ひたる形 青蓮華に似たり、樒の葉を葉といわす華と称する也」とあります。樒は香木であると言うこと、そしてインドでは専ら青蓮華をお供えしていたが、日本では青蓮華はたやすく手に入らないので、その葉の並びが青蓮華に似ている樒を仏前にお供えしたということになります。ちなみに、青蓮華は一般仏教では最上の花と考えられているます。

華瓶(けびょう)は、花をお供えする仏具でした。しかも花瓶(かひん)は、一般的な花をお供えしますが、華瓶(けびょう)は特別な花、つまり香木であり青蓮華の代わりとなるもの、つまり他の尊前とは違い阿弥陀如来の尊前には、最上の花をお供えしていたということになります。私たちは樒をお供えするとき、ややもすると最上の花をお供えしているという思いが疎かになっているかも知れません。

「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華」

一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解のひととのたまへり。この人を分陀利華と名づく。

これは正信偈の一節で、親鸞聖人は本願念仏の人を白蓮華(分陀利華)と譬えられています。浄土真宗では、この白蓮華を最も尊い花としてきました。しかし、白蓮華はなかなか手に入りません。そこで、白蓮華の替わりとなるような白い花を華瓶(けびょう)にお供えすることも、あながち間違いとは言えないのではないでしょうか…。

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