火の河・水の河

火の河・水の河とは、他力念仏をよろこぶ人の心模様を二つの河に喩えたもので、阿弥陀如来の必ず浄土の仏にさせてくださるお力におまかせしながらも、絶えず起きてくる悲しい煩悩の有様をあらわしています。そして、この二つの河の間にある細い白い道が、他力におまかせした人における信心のすがたであるとされます。 この喩えは、中国善導大師のお書物『観経疏』に出てまいります。今は、本願寺から出されている『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』によってその箇所を見てみましょう。
〈水と火の二河〉というのは、衆生の貪りや執着の心を水にたとえ、怒りや憎しみの心を火にたとえたのである。〈間にある四、五寸ほどの白い道〉というのは、衆生の貪りや怒りの心の中に、清らかな信心がおこることをたとえたのである。貪りや怒りの心は盛んであるから水や火にたとえ、信心のありさまはかすかであるから四、五寸ほどの白い道にたとえたのである。そして、お釈迦様のお勧めにより、この信心を賜れば煩悩があろうとも必ずこの二つの河を渡りきって阿弥陀如来の浄土に生まれさせていただけると、次のように仰せになって結ばれます。
衆生は長い間迷いの世界に沈んで、はかり知れない遠い昔から生れ変り死に変りして迷い続け、自分の業に縛られてこれを逃れる道がない。そこで、釈尊が西方浄土へ往生せよとお勧めになるのを受け、また阿弥陀仏が大いなる慈悲の心をもって浄土へ来たれと招き喚ばれるのによって、今釈尊と阿弥陀仏のお心に信順し、貪りや怒りの水と火の河を気にもかけず、ただひとすじに念仏して阿弥陀仏の本願のはたらきに身をまかせ、この世の命を終えて浄土に往生し、仏とお会いしてよろこびがきわまりない。このことをたとえたのである。
なお、本図では龍と鳳凰が河の上部に描いてあります。しかし、これらは善導大師の喩えにはないものです。龍も鳳凰も仏法をお守りくださるという言い伝えから本図の水と火にちなんで描いたものであります。