仏教クイズの答え

❶インド ❷お釈迦様 ❸菩提樹

仏教の興った国は、古代インドです。
仏教は、紀元前5世紀頃、現在のネパール領ルンビニーの地で誕生した釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタに始まります。ゴータマ・シッダールタは35歳の時に、ネーランジャラー河の辺の菩提樹の下で悟りを開きブッダとなり、初めて仏の教えを説かれました。
その後の人々は尊敬を込めて釈迦族の尊者、釈尊と呼び、また親しみを込めてお釈迦様とお呼びします。

▪︎▪︎仏教とは▪︎▪︎
釈尊が説かれた仏教について、「入門課程」の教科書の一部をご紹介しましょう。
私たちの周囲を見ますと、仏教を抜きにしては語れないほど、仏教そのものが日常生活に入りこんでいます。そのことは長い歴史のなかで、仏教の教えが人びとの生活に、深く根づいてきたからともいえるでしょう。
しかし反面、「仏とは何ですか」「仏教とはなんですか」とあらためて尋ねてみますと、「仏とは死んだ人のこと」とか「死後の話」「葬式をするもの」「墓まいり」など、仏教に対する正しい答えが返ってこないのも事実です。これは、仏教への正しい認識に欠けるところがら、起こってくるものでしょう。
では、本当の仏教とは何でしょうか。仏教とはけっして、まやかしや迷信ではありません。私がこの人生を生きていく上での、さまざまな悲しみや苦しみ、悩みを解決し、力強く、生き生きと生きられる人生を教えてくれるもの、つまり、自分を明らかにする道、本当の自分を見つけ出し、「生れてきて本当に良かった」ということを見つけ出す道が仏教なのです。
たとえば、人は必ず死ぬことがわかっているのに、私だけは死にたくないと願います。ここに悩みがはじまるように、私たちが何かしたいと思ったときに、うまくいかないとそこに悩みが生れてくるのです。つまり、私たちの心には、いつも「ああしたい、こうしたい」という欲望があり、その欲望が満たされないときに、苦しみ、悩みを味わいます。
釈尊は、「このような欲望(煩悩)こそが、私たちの苦悩の原因である」と気づかれたのです。つまり、「苦しみは私の外にあるのではなく、自分の思いどおりにしたいという、私の内にある煩悩によって生れてくる」と目覚められたのです。 私たちはややもすると、「こんな病気になったのは、休みなく働かされたためだ」とか、「お金さえあれば死なずにすんだ」とか、私の苦しみの原因はすべて外にあると考えがちです。
つまり、自分に都合のいい条件が、すべてととのえば「しあわせ」になれると考えています。そこで、自分に都合の良いものはどんどんむさぼり(貪欲:とんよく)、都合の悪いものにはいかり・腹立ちの心で接していく(瞋恚:しんに)のように、ものごとを正しく見ることができない心(愚痴:ぐち)で、判断していこうとします。
本当は、ものごとを正しく見ることができないのに、自分はいつでも正しいと思っています。このようなお互いの心がぶつかりあえば、当然そこには争いが生れ、苦しみが生れてくるでしょう。
釈尊は、「そのような苦しみの原因は外にあるのではなく、すべて自分に都合のいいように、自分中心にしか見られない私の心=煩悩に原因がある」と内観して、「外に求めていた苦しみの原因は、実は私自身が私の心によって作り出していた」と明らかにされたのです。
あなたも、是非釈尊の教え、仏教を学んでみませんか。