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お精進 その2

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 本願寺第三代宗主覚如上人が、曾祖父である親鸞聖人の行状を記した『口伝鈔』には、次のようなエピソードが紹介してあります。

 鎌倉幕府第5代執権北条時頼の父である北条時氏が書写した一切経を校合(校正)するため、優秀な学僧を集められた時、縁あって親鸞聖人も呼ばれました。その最中に、慰労のためでしょうか酒宴が催され、お膳に様々な珍味が用意される中、鱠(なます)が出されました。その時、他の高僧の方々はお袈裟を外してそれを食されているのに、聖人はお袈裟を着けたまま食されました。その時、九歳であった開寿殿(北条時頼)はその光景を不思議に思い、きっと深い思し召しがあるに違いないと思い、聖人へその理由を尋ねられます。すると聖人は「こんな素晴らしいごちそうは見たことが無いので、うっかりとお袈裟をとることを忘れてしまいました」と誤魔化されるのです。開寿殿はそのお答えに不満が残る中、後日またそのような酒宴が催されるのですが、その時も聖人はお袈裟を着けたままお魚を食されました。この時ばかりはと再び開寿殿はその理由を尋ねられます。しかし聖人は「また忘れてしまった」とお答えになるので、開寿殿は少々立腹しながら「私が幼少だと思って、御本心を述べられないのでしょうか」としつこくその理由を尋ねられるのです。さすがに聖人もそれには逃れがたく、遂にご本心をお答えになりました。

仏様は殺生を禁じられていますが、末法濁世の今時の人々はそれを守る人もおらず、剃髪し衣を着け僧侶の威儀を保っている者さえも、心は俗人と同じで魚肉も食べています。しかし同じ食べるのであれば、せめてそのもの達が何とか救われるようにしてやりたいと思うのです。ところが私は、我が名に釋の字を付け僧を名乗っていますが、心は世俗にあって、智慧も無く、徳もないので、とても彼らを救うことなど出来ません。さて、お袈裟というものは、三世(過去・現在・未来)諸仏の有情救済の旗印でした。ですからこれを着けながら食せば、このお袈裟の功徳によって、きっと救済の願いを果たすことが出来ると思ったのです。

 この親鸞聖人のお言葉には、私のために生命を投げ出してくれた者達への悲しみにも似たいつくしみを感じます。それは、この後にご自身の事を「無慙無愧の甚だしきに似たり」と仰っていることから、単なる謙遜ではなく、阿弥陀如来の智慧と慈悲によって知らされたご自身の偽らざるお姿を見つめられてのお言葉であったことが知らされます。生きとし生けるもの全ての幸せを願いながらも、それに資することの出来ない自身を認め、その上で何が出来るのか…。お膳の上にある鱠(なます)を見て、宗祖はそのようなことを考えておられたのでありました。

 「お精進」(動物を食さないこと)を、仏教徒としての麗しい習慣としてのみ捉えるだけは無く、自分自身にとってどういう意味を持っているのかを問いかけてみることも大切なことであります。歳と共にその答えは変わってくるかも知れません。