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季節の荘厳 はなまつり(灌仏会)

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4月8日は釈尊の御誕生日とされる日です。紀元前5~6世紀頃、ルンビニー(現在のネパール)の花園でご誕生されたその様子を『無量寿経』の「八相化儀」を通して窺ってみますと、「まず、兜率天において正しい教えをひろめ、次に、その宮殿から降りてきて母(マーヤー夫人)の胎内にやどる。やがて、右の脇から生れて七歩歩き、その身は光明に輝いて、ひろくすべての世界を照らし、数限りない仏の国土はさまざまに震動する。そこで、菩薩自身(ゴータマ・シッダルータ=釈尊)が声高らかに、『わたしこそは、この世においてこの上なく尊いものとなるであろう 』と述べるのである。」(仏説無量寿経・現代語版 本願寺出版社)とあります。

釈尊がこの世に御誕生になる前、菩薩の最高位である等覚になられますと、兜率天に入られ正法をのべ弘められます。そして下界(人間界)の仏が涅槃に入られれば、次にそこへ下って母(マーヤー夫人)の胎内にやどられるのです。そうして次に「右の脇から生れて」とありますのは、馬鳴菩薩の『仏所行讃』には、王の生まれ方には「股より」、「手より」、「頂より」等の記述が見られ、釈尊の御誕生もそれらと同様に記されているからでありましょう。そして御誕生になったばかりの釈尊は、七歩歩まれるのでありました。この七歩とは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人の六つの迷いの境界)を超えて悟りの境界へ人々を導くことを表し、そして「天上天下 唯我独尊」つまり「わたしこそは、この世においてこの上なく尊いものとなるであろう」と述べられるのです。この一見傲慢にもとれる言葉は、人間の言葉として受け止めるのではなく、「人々を迷いの境界から、悟りの境界へ導き得る者となるからこそ尊いのである」と、真理に目覚めた方の言葉であり、釈尊御誕生の描写自体全体が、真理の具現者の御誕生をあらわす記述であると受け止めるべきものであります。そして御誕生なさった釈尊に、龍が天から降りてきて香湯をそそいだという伝説が『摩呵刹経』・鹿野苑の古石刻図等に見ることが出来ます。こうして人間界に御誕生になった釈尊は、ご自身が涅槃に入られるまでの八十年間に八万四千の法門を説かれたと言われております。その釈尊の教えつまり仏教は、上座部仏教と大乗仏教に分かれましたが現代まで受け継がれ、その二千数百年の間、人々を悟りの境界へと導き続けてきたのでありました。

この釈尊の御誕生を祝う儀式は、龍が香湯をそそいだという伝説から、灌仏会とも呼ばれ、釈尊誕生仏に五色水や甘茶などをそそいで祝う形態となり、インドから中国日本へと伝わりました。この日本では、推古天皇十四年(606)に元興寺で行われたことが初見であり、以来仏教各宗派でこの灌仏会は伝承されてきました。

さて、浄土真宗、本願念仏の教えを頂く私たちにとってこの釈尊の御誕生の意味は、歎異抄第一条に示されます通り、阿弥陀如来のご本願が釈尊によりこの世に説き示されたこと、この一点にあるのでありました。

「弥陀の本願 まことにおはしまさは 釈尊の説教 虚言なるへからす 仏説まことにおはしまさは 善導の御釈 虚言したまふ へからす 善導の御釈 まことならは 法然のおほせ そらことならんや 法然のおほせ まことならは 親鸞か まふすむね またもて むなしかるへからす さふらう歟 詮するところ 愚身の信心に おきては かくのことし このうへは 念仏をとりて 信したてまつらんともまたすてんとも 面々の御はからひなりと」(歎異抄第一条)

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