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角坊 広如忌(すみのぼう こうにょき)

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中央仏教学院の南隣〔御池通りに面した所 〕には、親鸞聖人ご往生のゆかりの地に建つ「本願寺 角坊(すみのぼう)」〔本願寺飛び地境内〕があります。この角坊は、日本へ外国船がしばしば来訪し時代の大きな転機を迎えようとしていた文政9年〔1826年〕に本願寺第20代宗主にご就任なられました広如上人が、親鸞聖人六百回忌を機にそれまで明確でなかった親鸞聖人御往生の地を定めて、安政4年〔1857年〕に坊舎を建て『還浄殿』の扁額を掲げられたのがその始まりであります。

関東から京都へ戻られました親鸞聖人は、晩年に弟様の尋有僧都(じんうそうず)の善法院というお屋敷へ移られ、そこでご往生されました。本願寺第三代覚如宗主の「御伝鈔」によりますと、その時の状況を次のように記しておられます。
「しかうして同第八日〔午時〕頭北面西右脇に臥たまひてつゐに念仏のいきたえをはりぬ ときに頽齢九旬にみちたまふ 禅房は長安馮翊の辺〔押小路南万里小路東〕なれは… 」意訳「そうして28日の正午ころ、お頭を北、お顔を西に向け、右脇を下にして〔お釈迦様の涅槃のお姿〕、ついにお念仏の声が絶えました。御歳90才でありました。お屋敷は、長安馮翊(ちょうあんふよく)の近く〔押小路(おしこうじ)の南、万里小路(までのこうじ)より東〕であるので…」

この長安馮翊の辺〔押小路南万里小路東〕が、現在の「角坊」のある山之内と推定されるのであります。

また広如上人の時代、現在の本願寺の東北角辺りにあった北集会所(その建物は現在、姫路の亀山本徳寺のご本堂として現存)に、新撰組が駐屯しておりました。どうやら幕府からは、本願寺は勤王派と見られていたようで、新撰組は本願寺境内地内に駐屯し監視していたのでありました。彼らの威圧でしょうか、時折本願寺の境内に砲声が響き渡っていたといわれております。

激動の時代の中で、渾身に本願寺を護寺された広如上人のお姿が偲ばれます。6月1日と2日に、「本願寺 角坊」にて広如忌がお勤まりになります。是非ご参拝下さい。

 

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